年の瀬も押し迫り、クリスマスやお正月の準備もいよいよ本番ですね。
そして、年末は「お歳暮」の季節でもあります。
また、年が明ければ、「お年始」をと考える方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そこで、年末年始の「お年始」と「お歳暮」について調べてみました。
お歳暮とお年始を送るのってどうなの?
答えは「どちらか一方でよい」というのが、一般的な考え方です。
年末と年始では、時期も近いのでどちらも送った方が良いのかしらと悩まれる方も多いと思います。
ただ続けての贈り物は、過度の贈答にもなり、相手の方に余計な気を遣わせる場合もありますので、良かれと思ってということが裏目に出てしまいます。
ただ、お歳暮だけにすると、年始の挨拶として親戚や両家の実家に行くのに
手ぶらで行くには気が引ける・・・と思われる方も多いですよね。
そんな時には、「お年賀」という形で手土産を持参するようにしましょう。
お年始は本来、新年1月2日以降から松の内(一般的に1月7日ごろ)の間に行なう
「新年の挨拶回り」のことを指します。
両家両親や親戚などの家にはこの期間に訪問します。
その際、ご挨拶のしるしとして持参するものが「お年賀」です。
お年賀は、お歳暮ほど高価でなく、気軽に渡せるお菓子やお酒を持参すれば、
相手の方に余計な気を使わせる事なく、気持ちよく受取っていただけるでしょう。
お歳暮とお年始の違いって何?
そもそも、お年始とお歳暮の違いは何でしょうか。
まずは、その意味を調べてみました。
まず「お歳暮」についてですが、その起源は中国とされています。
中国では、神様のお祭りになるとお供え物を贈る風習がありました。
中でも旧暦の1月15日を上元(じょうげん)
7月15日を中元(ちゅうげん)
10月15日を下元(かげん)
と設定し、三元と呼ばれていました。
この中国の季節毎に贈るお供え物と
日本での神様を祭る行事が結びついて、お歳暮やお中元の風習が始まったようです。
中でも、お歳暮は、年末になると本家や家元に挨拶に行く習わしがあり、
それに付随して贈り物を持って行くという形に変化していきました。
日本でのお歳暮の歴史は、室町時代の上層階級が発祥とも言われています。
一般庶民に定着したのは、江戸時代。
そして、明治時代には現在のようなお歳暮の形になりました。
では、「お年始」の起源は?というと、
こちらも、江戸時代ごろに定着したようです。
古くから、日本のお正月には、年神様(新年の神様)を祀る習慣がありました。
これは、しめ縄や門松、鏡餅などの風習にあたります。
また、新年に分家が本家を訪問してあいさつ回りをする風習も定着していましたが、
訪問する際には、神棚や仏壇にお供えする「御歳魂(お年玉)」を持って行ったようです。
江戸時代になると、商人が取引先に新年の挨拶に行くことを
「お年始」と呼ぶようになり、手土産を持参する形に変わりました。
今の子供達へのお年玉や、お年始・お年賀はこの様にして
始まったというわけです。
まとめ
お歳暮もお年始も、贈る時期は年末と年始で異なります。
どちらも日ごろからお世話になっている方への感謝の気持ちを込めるもの。
また、1年間無事に過ごせたことを神様に感謝する、そして新たな年には、改めて神様にお供えをするという、神様へのお供えの意味合いもあるという点では、お歳暮もお年始も同じ意味合いがありますね。
ただ、贈り物を贈るというだけでなく、そこに神様へのお供え、お世話になった方の感謝を思いながら品物を考えると、贈られた方にもその思いが通じるかもしれませんね。
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